託宣を受けたのであった

そんな大仰なものではなかろうという向きもあろうが、ともあれ、こうしてわたしは数枚のチェックシートにより、「君は該当しないね」と診断されたのであった。

ならばわたしはただの努力不足なのですか、と聞きたかったけど聞かなかった。きっと聞いても先生は苦笑して「そうじゃないよ」と言ってくれるからだろうと勝手に想像して勝手に判断してその言葉を飲み込んだ。わたしはたくさんの言葉を飲み込んでいるような気がする。今日もまたひとつ飲み込んだ。

 「そうですか」と小さい声で言った。安心はできなかった。むしろ不安になった。胸にはさまざまな感情が去来し、わたしの心の扉をノックしては覗き込んで帰っていった。感情は明確な言葉にする前に出ていってしまうから、わたしは「ただぼんやりとした不安」などという某文豪のような表現しかできなくなってしまうのだった。

「コミュニケーション能力に問題はないよ」という言葉にはすこしほっとした。それは改善できる余地があるということだ。ならばよかった、と安心した。

診察室は静かで薄暗くて、なんだか水の中をたゆたっているような感じでぼんやりしている。でも今日は謎の工事音が聞こえてきて、先生は「うるさいね」と言った。

人の一挙一動がものすごく気になるわたしはたとえそれが自分の内面を吐露しないと治療できない場であろうと先生の一挙一動が気になる。託宣を受けながら、今日は先生は落ち着いているな、と思ったのだった。たまに疲れているように見える日があり、わたしは患者なのにそんな先生のことが気になってあまり自分の素直なことを言わないときもある。

こんなまとまりのない文章を書いてごめん、と、文章の途中で謝っておく。

なにかテーマを決めれば良いのだろうけど、わたしは思考があっちゃこっちゃ飛ぶのでなかなかそうもいかんのである。自由に書ける場であることを信じ、ここにこうやって書く。

まあとりあえず今日あったことは託宣を受けたということ。だからわたしは「普通よりも高い数値だけれどその診断には該当しない数値の持ち主」であるということが分かったのだ、ということを誰かに伝えたかった。

境目に立っているわたしの心は晴れない。曇り空から陽が差し込むのが見えるときもあるけれど、わたしはまだ境目をじっと見つめて、見つめて、そこに立っている。