焦がれてやまない

なにが、って「普通」ってことに。わたしはだいぶ普通からはみ出した人生を送ってきたような気がするけど、そうじゃないよ現代では普通だよという声もありそうだからこうして小さく言葉にする。

小学校は二年生の夏のころから行かなくなった。今でも思い出せるのは、和室でわたしと母が二人きりでどうして学校に行かないのか母はわたしを問い詰めてわたしはひたすら泣いているという図。これをすこし離れた場所から眺めている自分がいるような感じで思い出せる。

玄関先でランドセルを放り投げ、何時間も動かなかったわたしはついに学校に行かなくなった。当時、小学校低学年での不登校児は珍しかったらしく、わたしの扱いにはどこもたいそう困ったそうで、あちこち出かけては家に戻る、を繰り返した。

家に居たら絵を描いた。女の子の絵だ。でも母はそんなわたしを見ては叱った。でも今思えばそうだろう。だって普通は学校に行って当たり前なんだから。家の中には普通じゃない子がいて、絵を描いてのほほんとしているんだから。

のほほんとしていた?と自分に問うてみると幼いころのわたしはきっと首を振るんじゃないかなあ。それとも笑顔でうなずくかな。それはきっと両方とも正解なんだろう。

母はわたしだけじゃなく、姉の問題も抱えていた。姉についてはたくさんたくさん、もういろいろとあったので後述する。だから姉妹そろって問題を抱えた普通ではない子供が二人居たのである。そりゃあ心労もたたるというものだろう。

だけど母は諦めなかった。ほんとうに感謝してもしきれない。こうして今わたしが曲がりなりにも生きているのは母が連れて行ってくれた場所と、出会った人の影響が大きい。

まず最初は、福祉センターという場所でI先生とたくさん遊んだ。わたしが遊んでいる間、母は別室でカウンセリングを受けていたようだ。

I先生はとてもとても優しい人で、わたしが幼心に「この人はとても優しいひとなんだな」と思った出来事がある。

「おひさまをはこぶちょう」という絵本をご存知だろうか。今は絶版になっているかもしれない。

内容をすこし書くと、暗い大仏殿に安置されていた大仏さまのもとに、一匹の蝶が迷い込んできた。「あら、ここはずいぶんとくらいのねえ」蝶はくったくなく大仏さまに話しかける。「ここはくらくてさむいのね。ねえ、あなたはさみしくないの?」蝶は大仏さまが外の世界を見たことがないことを知り、では自分が外の気配をすこしでも教えてあげようと一生懸命に花の香りなどを教える。

そんな日が続いたある日、大仏さまのもとにひらひらと蝶が舞い降りた。蝶は小さな声で「ねえ…わたし…きれい?」と大仏さまにたずねた。蝶からはおひさまの匂いがした。そして幾度もおひさまの匂いを運んでくれた蝶だったのだけれども、これが最後であることを大仏さまは知っていた。けれどいつもと同じように「とてもきれいだよ」と応え、蝶は満足そうに大仏さまの手のひらのなかで息絶えたのだった。

なにぶん大昔の話だから、たぶん内容はだいぶ違うかもしれない。しかし大筋はこんな感じだ。わたしが印象に残ったのは、話の内容もさることながら、最後の場面で声を詰まらせて涙を流したI先生の姿だった。わたしは子供だったけど、絵本で泣く大人なんて見たことがなかったから驚いた。同時にこの人はとても優しい人だ、と頭のどこかで感動すらしたのを覚えている。

実際I先生はとても優しい。未だに年賀状の交換をしているのだ。毎年優しい言葉を添えてくれるこの人がいるのなら世界もそう悪くはないと思えるような人だ。

そして、次に出会ったのがY先生。この人はとにかく明るい人で、もうそれがとにかく半端じゃない。元気の押しつけ、なんてことはまったくない。とにかく会うと元気になる。そういう人だった。なんだか奇跡の体現みたいな人だった。

わたしはI先生の許を離れ、Y先生のところで他の不登校児たちとのびのび元気に遊んだ。とにかく遊んだ。だからわたしはとても元気になり、6年生になったある日、急に「学校に行ってみたい」と言い出したほどだ。

これには家族も先生がたも驚いたようで、家族は止めていたが、Y先生の後押しでわたしは学校に行くこととなった。といっても教室には入らない。使われていない教室に一人で椅子に座り、何時間か勉強して帰ってくるという生活。

今でもくっきり思い出せるのは担任の先生の「困った子」という感じの雰囲気だ。まあ実際そうだったんだから仕方ないっちゃ仕方ないよね。でもあの人の自分を見る目はなんだか忘れられない。

またなんか無駄に長くなったからここいらで止めないと。I先生とは交流があるけど、Y先生とはもうなんの交流もない。時折無性に会いたくなるけど、でもあの人はもうきっと子供たちにすべてを与えてくれたのだろうと思う。本当に急に、潔く目の前から消えてしまって、中学生になったわたしは「Y先生ね、辞めちゃったのよ」という言葉をぼんやりリフレインしたまま電車のホームにたたずんだのを覚えている。

きっともう会えないのだろうと思う。会いたいけれどね。