なんでもない日のこと

仕事を辞めると決めた日からしばらくして、次の予定まで間があったので、そうだ、昔よく本を借りに行っていた図書館にでも行こうと思い立った。

図書館は自転車で20分ぐらいかかる距離にある。近いような遠いような距離をひたすら自転車のペダルをこいで進む。途中歩道橋をどうしても渡らないといけない場所があって、いつも7冊とか8冊ぐらい本を借りるわたしは帰り道がすこしつらかった。

図書館に着いたらあれっと周囲を見回した。なんだか入り口付近で待っている人たちがいるぞ。ああなんだ、まだ開館時間前だったんだと気がついた。

自転車を止め、ぼんやり花壇に腰かけて開館を待つ。結構な人数が図書館を開くのを待っているのをすこし驚きながら眺める。ちなみにこの図書館は市の図書館で、規模としては小さい。

開館時間が来て、わたしはのんびり中に入った。おや、あんなに並んでいた人たちはどこに行ったのだろうと不思議に思うほど中には人の気配がなかった。みんな2階で勉強しているのかなあと思いながら本棚の前に立つ。

わたしはエッセイなどが好きだから、その作家自身についてインタビューしたりした本なども大好きだ。だから作家さんを特集したムック本なんかがいっとう好きだったりする。

そういう本を見繕うと、つぎは久しぶりに小説でも読もうかなとふらふらと薄暗い館内を歩く。

恩田陸さんと北村薫さんの小説を1冊ずつ借り、あとは適当に面白そうだと見繕った本を両手にかかえてさあ借りようとカウンターまで行きかけてとある本棚に目を留める。

なんてことだ。わたしが読みたかった羽海野チカ特集のMOEではないか。急いでこれも借りなければと抱え込む。ついでのように表紙からなぞのオーラを出していたエドワード・ゴーリーの特集も抱えこんだ。さあ借りよう。

司書のひとはやさしい笑顔で期限を言い、本をわたしに手渡してくれた。リュックにしまいこんでまた自転車に乗る。

まだちょっと肌寒い日で、パーカー越しの風が冷たかったのをおぼえている。

 

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そんなわけで今日、借りていた本を返しにいくことにした。

自転車は盗まれたのでない。誰だ盗んだやつ。おかげで歩くしかなくなって健康そのものじゃないか。

ずっしりと重たいリュックを背負い、家を出る。いい天気だなあと無難に思い、無難に道を歩く。

図書館まで行かなくとも本を返却できるポストが近くにあるので、そこに返すことにした。えっちらおっちらと歩いていくと、途中の個人経営の会社らしきところにハイビスカスらしき花が咲いていて、そこだけ色彩があざやかでぱあっと明るくなっていた。

きれいだなあとじーっと見つめていると、影におじさんが居たことに気がつき、あわてて目をそらすのであった。

無事に返却ポストまで行き、本を中に入れる。ずっしり重かったリュックは羽根のように軽くなった。ひらひらと歩いて帰る。

 

なやんでなやんで、こんな自分には生きている価値がないと思っていたあの日も同じような格好をしてリュックを背負って歩いたなと思いだした。それは真夏のような日差しが降り注ぐ日で、わたしは暑いなあとぼんやり重い頭のままふらふら歩き出した。

行き先は決めていたわけじゃなくて、どこかのマンションの階段から下を見たらなにか変わるのかなと思って、それを実行しようかと思って歩き出したのだ。

結果としてはただ神社にお参りするだけで終わった。神社はむかーしむかし、七五三のときに連れて来てもらった近所の神社だ。まったく人気はなく、静かな神社の境内は水を打ったようだった。

お参りをして、また歩き出す。ちなみにものすごい日差しだったのでわたしの体力はすでに限界だった。水を飲んで、どうしようか一瞬かんがえて、家へと足を向けた。

帰ろう。

 

今、そうした願望はなくなったか?と聞かれたらわたしは首を振るしかない。一度抱えたこの願望というのか、気持ちというのか、感情なのかはわたしの心から離れてはいない。

自分がこんな気持ちを抱えてから、「メンヘラ」って言葉をつかうのはやめよう、と思った。だれもあなたの苦しみはすべて理解できない。だれもわたしの苦しみはすべて理解できない。ただ辛く、苦しいときに吐き出した言葉をその単語で笑うのはやめようと思った。

そのひとがなにを抱えて生きているかなんて、すべて分かるひとはいないのだから。