選択肢ならたくさんあったし選んできたよ

人生は選択肢の連続だ、と、なにかの言葉で聞いた。その通りだと思う。たとえば朝なにを食べるかからはじまり、この人生をどうするかにいたるまで。主に仕事に関してわたしは結構たくさんの選択をしてきた。履歴書にはずらずらと謎の経歴がならぶ。どれも短い。この短さがわたしの弱さをあらわしているのだろうか、と、見るたびに悲しく自己PRを打ち込む。

最初はちょっと高級なレストランで、ホールのアルバイトをした。今のわたしの歳とそう変わらない店長はやさしかったけどすごく冷たくもあった。なにせわたしは大学を卒業するまでなんのアルバイトもしたことがなく(正確にはあったけど1日でクビになった)、そういう社会常識にはとんとうとい20そこいらの小娘だったのだから。んー、でも今思い返してもそこのレストランのお局は最強で最凶だった。だって縦ロールだもん髪の毛。縦ロールだよ。お蝶夫人かよ。敵わねぇよ。お局ともう一人の女の子はわたしの世間知らずっぷりと挙動不審っぷりが大嫌いだったらしく、つらくなって辞めた。今でも真夏の暑い日、「今日で辞めさせてください」と言った世間知らずの小娘を店長は叱りもせずゆるしてくれた。そしてわたしは百貨店を背にし、そこの最上階に聳える縦ロールをもう見なくてすむことにほっと安堵した。きっとこれがはじまり。

いろいろアルバイトしたな。でもどれも1年未満。長くは続かない。多分わがままなんだろうな、とは自分でも思う。お客さんが嫌になって、人間関係が嫌になって。なんで長く続けないの、なんで我慢しないの、と、昔の自分に言いたいけど言ったらどんな結果になるんだろう。結果(つまり未来は誰にもわからない)は良いものであったろうか。神さまが望遠鏡みたいに見せてくれたらいいのに。

先月も仕事を辞めた。ずいぶん悩んだけどまた辞めた。辞めなければ良かったのかもしれない、と思う自分もまだ居る。でも辞めてずいぶん楽になった自分も居る。相反するものが自分のなかにあるということは案外めっちゃつらい。

その職場でも挙動不審なわたしを嫌いなお局がまた現れ、わたしはまた負けた。すこしだけ戦ったけどそれは戦ったことになるのかな。心底楽しそうにわたしの慌てるさまを見ていたあの人に耐えることが勝つ条件だったのだろうか。難しい条件だな。ベリーハードだ。みんななら戦えて耐えて勝つことができるのだろうか、と、いつも考える。だとしたらやっぱりわたしは弱いしダメなやつだ。

わたしはダメなやつなんです、と、言ったら「そんなことないよ、ダメじゃないよ」と言ってくれる言葉を信じる方法をだれか教えてほしい。

「わたしはわたしの物語を閉じてはいけない?」

奥歯さんは自分で物語を閉じた。わたしの物語はどこで閉じるべきなんだろう。だからまだしおりを物語にはさむ。