産まれなければよかった、の一言は軽いですか?

わたしは今、自分に対し、すごくそう思います。発達障害という診断も下せない、じゃあ普通かといえばそういうわけでもなさそうな、いわゆるボーダーとしてわたしはいる。

「普通に産まれたかった」

という言葉が、胸の中いっぱいに広がってどうしようもないです。発達障害は甘えという意見が世の中にあることを知っています。そしてわたしはその発達障害でもない、ただの出来損ないだということも知っています。

普通に働こうとしました。普通にコミュニケーションを取ろうとしました。普通に仕事をこなそうとしました。でもすべてダメだと言われ、嗤われました。悪意はとても強く伝わります。でも普通の人はこんなことなんでもない、だから頑張ろうと仕事に行こうとしました。

だけどどうしても行きたくなくて、一人で夜の公園のベンチに座りました。ここに居たからってどうなるわけなんてないのに。誰かが救ってくれるわけでもないのに。

ええ、わたしの努力不足なのでしょう。忍耐不足なのでしょう。もっと普通の人なら上手にやれたのでしょう。

でも、わたしなりに頑張ったつもりだったのです。苦手な面接もなんとか通り抜け、手術後の母親に伝えられたことは心底嬉しかった。頑張って続けようと思った。新しい保険証が来たとき、父親から「また何かあった時のために」と、もう一枚の保険証を手渡されました。これを使わない未来がきっとあるし、また、そうであるようにしよう、と思いました。

新しい職場には自転車で30分かけて通いました。頑張ってるね、と笑われる距離を雨の日も漕いでいきました。

コミュニケーションも仕事もうまくいかないと分かってきたとき、本をたくさん買いました。実践しようとしましたが、そう上手くいくはずもありません。わたしはやはり嫌われたままでした。いや、馬鹿にされていたのかな。どちらも同じか。

「辞めてよかった」と言われ、わたしはうなずきました。しかし日が経つにつれ、何をしていても涙が出るようになりました。

わたしは何なのだろう。わたしは普通のはずなのに、なんで何をしてもうまくいかないんだろう。

職場が悪かった、と言ってくれる人がいます。そうかもしれません。でも、普通の人なら頑張れたかもしれません。

普通に産まれたかったのです。「普通にしか見えないよ」とたくさん言われます。じゃあなんでこんなにわたしは変なのだろう。その言葉は呪いのようでした。

「もう普通は嫌だ」と両親に言いました。じゃあどうするのか。手帳をもらい、就職するのがベストなのか。

普通なのに普通にできないわたしはわたしを殺してしまいたい。産まれてこなければよかった。それが短くまとめたわたしの言葉です。

「もっと辛い思いをしている人もいるんだぞ!」と、わたしの頭の中の誰かが責め立てます。だからわたしはまた立ち上がって働きます。

普通になりたい、死んでしまいたい、とつぶやきながら。