己を語る、ということ

今すごいしゃっくりが出てるんですが、それは関係ないのでひとまず置いておきましょう。しゃっくりは息を吸い込んで飲み込んで、吸い込んで飲み込んで……を繰り返すと止まると言われていますが、どうなんでしょうか。ひっく。

本題に入ると、この間「自分のことをもっと話してほしい」と言われたんです。

言ったその人はたくさん自分のことを話してくれて、それこそ自身の交友関係のことや、仕事のことなど、たくさん話してくれました。わたしも聞いていてすごく楽しかったです。同時に、この人はすごく充実した人なんだな、と思いました。そして、すごく明るい、日なたを歩いてきた人なのかもしれないと思いました。

自分のことを話してほしいと言われ、わたしははたと止まってしまいました。自分のこと。なにを話せばいいだろう。わたしはこの人ほど友人は多くはない。趣味も読書とか映画鑑賞とか、博物館に行くのが好きなわりかしインドアな人間。そして仕事はといえば、今まさに色々な決断に迫られている。そんなことをこの人にすべて話していいものか。話せるものなのだろうか。冷や汗は出ませんでしたが、そこで心の中が真っ白になったんですね。

わたしは目の前の人が、まるで正反対な鏡のようだ、と思いました。きらきら輝いて、光っている。妬ましいという気持ちはなく、ただただ、すごいな、と思ったんです。

わたしの今までの遍歴を語るとすれば、小学生時代の不登校にはじまり、中学のころは特になにもなく(帰宅部だった)、あ、高校はすごく楽しかった! 大学は普通に通って普通に卒業論文を書いて卒業したということでしょうか。

まあ、それを言えばいいのでしょうが、ちょっとだけ待ってほしい。まずは小学生時代のことだ。不登校だった、ということ。この時点で共感を得られる人は少ない。たいてい驚かれる。それはでも仕方ないのだろうとは思う。

次に、友達の人数や、人生経験の少なさについて。わたしはSADという障害を持っている。それが少なからず、今までの人生経験の少なさに影響を及ぼしていることに、その人と話して気がついた。

社会不安障害。大学の頃のわたしは、電車の中がとても苦痛で、そして外を出歩くのもたまらなく怖くて仕方がなかった。授業がない日は、ずっと家に居た。

わたしはその人と話をしていて、冒頭の台詞を言われたとき、はたと黙ってしまった。どうしよう、と。よく分からなくなってしまったんですね。言うべきか、言わざるべきか。

世の中のすべての人に受け入れられるかは分からない。それは仕方ない。しかしわたしは、今目の前で話している人に受け入れられたいと思いました。でもすごく怖いのです。薬を服用し、手帳を申請し、就労移行支援に通おうとしているわたし。

こうしてネットの上では自由に発言ができます。きっとそれは、目の前の対象が不特定多数だから。仮にわたしを受け入れてくれずとも、ネット上では直接その人の顔を見ずに済みます。しかし、今、目の前に居るこの人はどうなんだろうか?

話せないのは、見栄やプライドなのかもしれません。それをすべて捨てることはできない。ならばどうするか。解決策は分かりません。ただ、理解してほしいと願ったとき、これは通るべき道なのだろうと思います。

わたしはおそらく、この問題と向き合っていかなくてはいけないのだろうと思います。わたしはわたしでしかないから、今までの人生の取り換えなんてきかないから。わたしは、自分を大切にしたいと思っています。だから、すごく怖いですが、今までのことを少しずつ話していければと思います。

わたしはわたしから離れることはできないけれど、応援することはできるから。