誕生日を迎えて

わたしが産まれた日がきました。こんにちは、ありがとう。

0時ぴったりに「誕生日おめでとう」という連絡がくることが毎年の憧れで、それで実際に0時ぴったりに連絡が来たときはすごくすごく嬉しかった。ただし、わたしが眠くてちゃんと返信を返せていないことが残念だが。起きたらもう一度「ありがとう」と言おう。

産まれてきた日。みんなから「おめでとう」と言われた日。病院で産声をあげた日。今日は特別な日。

少し前、わたしは死んだほうが良いのだ、そうした方が良いのだという考えしか思い浮かず、その考えに囚われては悲しくなっていた。だがこうして今日、誕生日を迎えた。生きている。おめでとう、と言ってくれる人の存在。それがこんなにも嬉しいものなのだ、と、あらためてわたしは知った。

3000gぐらいで健康児として産まれたわたしは、結構な歳を重ねたような、いやそれでもまだまだ若輩なような、そんな気持ちでいる。そうだ、タイムマシンがあったら産まれてきたわたしに会いに行きたい。ガラス越しに、「おめでとう」と言いたい。自分だけど。ひどく落ち込んでいた時、わたしは「タイムマシンがあったら自分を消したい」と考えては泣いていた。けれど今は違って、彼女の顔を見たら、「おめでとう」と言いたい。

誰かにとってはいつもの日。わたしにとっては特別な意味を持つ一日。

まだまだ経験していないことがたくさんある。そしてまだまだ笑い足りない。わたしが望んだものは手にあふれ、こぼれおちて、すこしのものが残った。そのすこしのものが、今、わたしを生かしている。

今日はきっと、「ありがとう」を言う日でもあるのだろう。ここまで読んでくれてありがとう。またひとつ、歳を重ねました。来年もまた、こうして笑顔でこの日を迎えることができますよう。

嬉しい一日がやってきて、わたしをまたひとつ大人にし、そうして次の年にまたわたしはこの日を迎える。

その繰り返しで、生きていこう。