タイトルタイトルって二回打つとちょっとゲシュタルト崩壊しない?
娘2「ママ、よく聞いて。ちゃーたんのからアドバイスね。やろうとしてるときに、宿題しなさい!って言われたら、いやになるから、まず最初に"なにしようとしてる?"って聞くこと」
— 藤川オレンジーナ (@Forangina) 2016年7月17日
はい。肝に銘じます。
さらにつづけて「”宿題した?””したよ””ドラゼミは?”って続けて言わないこと。まず宿題したことを褒めてから”まだなんかする予定?”って聞くこと」
— 藤川オレンジーナ (@Forangina) 2016年7月17日
娘2・9歳、子育て博士か。
このツイートを見て、うらやましいなと思った。子供はちゃんと自分がしてほしいことを言え、親はそれを受け入れられている。もちろん実際はどうかなんて分からないけれど、こうした関係は理想だ。
わたしは長いこと自分をどこか横に置いて人生をやってきた。
親の言うことに縛られ、そしてそれが正しいと思い込んで生きてきた。不登校からなにやら色々あったわたしのことで親には迷惑をかけたという自責の念があるから、言うことを聞くのは当然だと思っていた。でもそれってどうなの? と、つい最近疑問を投げかけられたのだ。
そこではたと気がついた。それってどうなんだろう? と。
わたしの家族は皆それぞれ病を抱えている。身体的なものではなく、精神的なものだ。極度に不安状態に陥ったり、自分ではどうしようもない精神状態になったり。
大学生になる頃まで、わたしは「普通」だった。姉に色々なことがあり、大変な時期でもあったが、高校生までは平穏で穏やかな生活が待っていた。
それが一変したのが大学生の時だ。まず、周囲とコミュニケーションが取れない。今思えば当然かもしれないな、と思う。周囲に比べて精神年齢も見た目も中学生のようなわたしと、周りの女の子たちが同質であるはずがない。お互い違和を感じていたのだろう。わたしは一人の友達しか出来ず、それが悲しくて図書室で泣いたことがある。だって自分は「普通」だと思っていたから。「普通」なのに友達ができない、コミュニケーションが取れない。なんでだろう、どうしてだろう。
そのうち外に出るのも怖くなった。授業がない日は家に居て、布団の中にくるまって眠りこけていた。
さすがにこれはまずいと両親は思ったのか、わたしをメンタルクリニックに連れて行き、晴れてわたしはSADの診断を下されたのだった。そこでようやく「おや、自分は普通ではないのだろうか?」と、思うようになった。すこしだけ楽になった気がした。
わたしはまだ親に意見を言うのが苦手だ。そもそも人に意見を言ったりするのも苦手だ。しかし姉は数年前に色々とあり、両親に自分の思いのたけをぶつけ、今はごくごく自然にコミュニケーションをとっている。きちんと自分の意見をアサーティブに述べ、にこにこと穏やかに笑っている。そんな姉に、とても助けられている。
なにが言いたい文章なんだろうと自分でも思うけど、要するに、なんだか親子関係が窮屈だと感じる。
どうしたらいいのか、色々とヒントはもらった。まずは自分が幸せになること。背負いこみすぎないこと。それでも親の意見に引っ張られていってしまうけれど、これはわたしの人生なのだということを忘れたくない。