つれづれ
就労移行支援、という存在をあなたは知っているでしょうか。ちなみにわたしは紹介されるまでまったく知りませんでした。
どうしてわたしがここに通うことになったのか、それは簡単に言ってしまえば「長く働くことが困難であるから」。その原因を探ったり、現時点でこれではないか? と思われる原因を緩和していくために、就労移行支援の施設に通い、就職というゴールを目指します。
直接人に言うのはまだ抵抗があるので、「専門学校に通う」などと言っていることが多いのですが、気を悪くしないでくれるとありがたいです。どうして人に言うことに抵抗があるのか? と問われると、それは「大多数の人にとっては当たり前なことを、わざわざ何ヶ月も平日ほぼ毎日就労移行支援の施設に通い、学習するから」です。
多くの人が「こんなんできて当たり前っしょw」と笑うようなことが、ある人にとっては難しい場合があります。わたしの場合は仕事上でのコミュニケーションがそれに当たります。必要なことを聞けなかったり、段取りを掴むのが苦手だったりなど。
うーん。書いていて自己弁護のようになってしまうのが難しいけれど、世の中には本当に千差万別いろいろな人間が居て、そのひとつ/一人であると理解していただけると嬉しい。
わたしがとある人のTwitterを見ていて驚いたのが、「自分は二桁の足し算ができない」と簡潔にツイートされていたことでした。
そんなことを書かれながらも、日常生活を実にのびのび元気に、独自の美意識を持って過ごすその人の存在は自分にとってすごく衝撃的でした。普通、二桁の足し算ができなかったりすると、日常生活がとても不便でコンプレックスを抱きそうなのに、卑屈になることなく、自分の得意分野をすくすくと伸ばしている姿がなんとも素晴らしいなあとなぜだかわたしが嬉しくなりました。
いつもブログを書いていて、なにが主題なんだろうと自分でも疑問に思いますが、基本思いついたことを書いているだけなのでお気になさらず。
自分の特性のことを「話すべきか/話さざるべきか」ということを最近はよく悩んでいます。そんなことを先生に話したら「自分が困ったときに話せばいいんじゃないか」と言われ、なるほどそれもそうかと思いました。
でも、と、二の足を踏む。
受け入れてくれるだろうか。わたしは受け入れてほしくて話す。でも相手には相手の考えや感情がある。それは尊重すべきものだ。受け入れるかどうかは相手の自由だ。だからこそ、話した上で受け入れてくれる人の存在はとても嬉しい。
そんな日々の雑記。
タイトルタイトルって二回打つとちょっとゲシュタルト崩壊しない?
娘2「ママ、よく聞いて。ちゃーたんのからアドバイスね。やろうとしてるときに、宿題しなさい!って言われたら、いやになるから、まず最初に"なにしようとしてる?"って聞くこと」
— 藤川オレンジーナ (@Forangina) 2016年7月17日
はい。肝に銘じます。
さらにつづけて「”宿題した?””したよ””ドラゼミは?”って続けて言わないこと。まず宿題したことを褒めてから”まだなんかする予定?”って聞くこと」
— 藤川オレンジーナ (@Forangina) 2016年7月17日
娘2・9歳、子育て博士か。
このツイートを見て、うらやましいなと思った。子供はちゃんと自分がしてほしいことを言え、親はそれを受け入れられている。もちろん実際はどうかなんて分からないけれど、こうした関係は理想だ。
わたしは長いこと自分をどこか横に置いて人生をやってきた。
親の言うことに縛られ、そしてそれが正しいと思い込んで生きてきた。不登校からなにやら色々あったわたしのことで親には迷惑をかけたという自責の念があるから、言うことを聞くのは当然だと思っていた。でもそれってどうなの? と、つい最近疑問を投げかけられたのだ。
そこではたと気がついた。それってどうなんだろう? と。
わたしの家族は皆それぞれ病を抱えている。身体的なものではなく、精神的なものだ。極度に不安状態に陥ったり、自分ではどうしようもない精神状態になったり。
大学生になる頃まで、わたしは「普通」だった。姉に色々なことがあり、大変な時期でもあったが、高校生までは平穏で穏やかな生活が待っていた。
それが一変したのが大学生の時だ。まず、周囲とコミュニケーションが取れない。今思えば当然かもしれないな、と思う。周囲に比べて精神年齢も見た目も中学生のようなわたしと、周りの女の子たちが同質であるはずがない。お互い違和を感じていたのだろう。わたしは一人の友達しか出来ず、それが悲しくて図書室で泣いたことがある。だって自分は「普通」だと思っていたから。「普通」なのに友達ができない、コミュニケーションが取れない。なんでだろう、どうしてだろう。
そのうち外に出るのも怖くなった。授業がない日は家に居て、布団の中にくるまって眠りこけていた。
さすがにこれはまずいと両親は思ったのか、わたしをメンタルクリニックに連れて行き、晴れてわたしはSADの診断を下されたのだった。そこでようやく「おや、自分は普通ではないのだろうか?」と、思うようになった。すこしだけ楽になった気がした。
わたしはまだ親に意見を言うのが苦手だ。そもそも人に意見を言ったりするのも苦手だ。しかし姉は数年前に色々とあり、両親に自分の思いのたけをぶつけ、今はごくごく自然にコミュニケーションをとっている。きちんと自分の意見をアサーティブに述べ、にこにこと穏やかに笑っている。そんな姉に、とても助けられている。
なにが言いたい文章なんだろうと自分でも思うけど、要するに、なんだか親子関係が窮屈だと感じる。
どうしたらいいのか、色々とヒントはもらった。まずは自分が幸せになること。背負いこみすぎないこと。それでも親の意見に引っ張られていってしまうけれど、これはわたしの人生なのだということを忘れたくない。
どうなんでしょうね?
今まで恋愛らしい恋愛をしてこなかったので、「王道の青春」とか「定番のデートコース」とか、よくわからないのです。
わたしの初めての恋人モドキは最初こそとても甘い言葉や優しい言葉でわたしを包んでくれました。しかしそれらはすべて嘘だったと気がつき、ああこれは恋人ではなく、「モドキ」だったのだと気がついたのです。
今回、また恋人が出来ました。彼も優しい言葉を向けてくれます。
誰に言えばいいのか分からないから、こうしてここに書き綴ります。
なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか - Google 検索
この本を読んで、痛いほど頷かされる部分がありました。誰しもにある「心の穴」。恋愛は、セックスとは、それらを埋める行為でもある。
わたしは「モドキ」に愛してもらいたかったのです。認めてもらいたかったのです。心の穴を埋めてほしかったのです。
恋愛をすると「メンヘラ」になるとよく言うでしょう。それってでもある程度仕方がないところもあるのではないかなあと思うんです。誰にも心の穴はある。恋愛はどうしたってそこに触れる行為だから。
わたしは認めてもらいたい、埋めてもらいたい、と、願って願ってやまない。この心の穴はどうして生まれたんだろう、と、ぽっかり空いた空洞を見つめます。
Twitterではあまり書きませんが、本当は怖くて怖くてたまらないのです。「モドキ」のような思いをまたするのはひどく辛いこと。でも仕方ないのかな、とも心のどこかで諦めている自分もいて、よく分からない。
でもあの頃の自分よりすこし進歩しているのは、「何よりもまず、自分がいちばん大切」ということを分かっていること。
どうなるかはまだ分からない。恋愛は未知の領域だ。
己を語る、ということ
今すごいしゃっくりが出てるんですが、それは関係ないのでひとまず置いておきましょう。しゃっくりは息を吸い込んで飲み込んで、吸い込んで飲み込んで……を繰り返すと止まると言われていますが、どうなんでしょうか。ひっく。
本題に入ると、この間「自分のことをもっと話してほしい」と言われたんです。
言ったその人はたくさん自分のことを話してくれて、それこそ自身の交友関係のことや、仕事のことなど、たくさん話してくれました。わたしも聞いていてすごく楽しかったです。同時に、この人はすごく充実した人なんだな、と思いました。そして、すごく明るい、日なたを歩いてきた人なのかもしれないと思いました。
自分のことを話してほしいと言われ、わたしははたと止まってしまいました。自分のこと。なにを話せばいいだろう。わたしはこの人ほど友人は多くはない。趣味も読書とか映画鑑賞とか、博物館に行くのが好きなわりかしインドアな人間。そして仕事はといえば、今まさに色々な決断に迫られている。そんなことをこの人にすべて話していいものか。話せるものなのだろうか。冷や汗は出ませんでしたが、そこで心の中が真っ白になったんですね。
わたしは目の前の人が、まるで正反対な鏡のようだ、と思いました。きらきら輝いて、光っている。妬ましいという気持ちはなく、ただただ、すごいな、と思ったんです。
わたしの今までの遍歴を語るとすれば、小学生時代の不登校にはじまり、中学のころは特になにもなく(帰宅部だった)、あ、高校はすごく楽しかった! 大学は普通に通って普通に卒業論文を書いて卒業したということでしょうか。
まあ、それを言えばいいのでしょうが、ちょっとだけ待ってほしい。まずは小学生時代のことだ。不登校だった、ということ。この時点で共感を得られる人は少ない。たいてい驚かれる。それはでも仕方ないのだろうとは思う。
次に、友達の人数や、人生経験の少なさについて。わたしはSADという障害を持っている。それが少なからず、今までの人生経験の少なさに影響を及ぼしていることに、その人と話して気がついた。
社会不安障害。大学の頃のわたしは、電車の中がとても苦痛で、そして外を出歩くのもたまらなく怖くて仕方がなかった。授業がない日は、ずっと家に居た。
わたしはその人と話をしていて、冒頭の台詞を言われたとき、はたと黙ってしまった。どうしよう、と。よく分からなくなってしまったんですね。言うべきか、言わざるべきか。
世の中のすべての人に受け入れられるかは分からない。それは仕方ない。しかしわたしは、今目の前で話している人に受け入れられたいと思いました。でもすごく怖いのです。薬を服用し、手帳を申請し、就労移行支援に通おうとしているわたし。
こうしてネットの上では自由に発言ができます。きっとそれは、目の前の対象が不特定多数だから。仮にわたしを受け入れてくれずとも、ネット上では直接その人の顔を見ずに済みます。しかし、今、目の前に居るこの人はどうなんだろうか?
話せないのは、見栄やプライドなのかもしれません。それをすべて捨てることはできない。ならばどうするか。解決策は分かりません。ただ、理解してほしいと願ったとき、これは通るべき道なのだろうと思います。
わたしはおそらく、この問題と向き合っていかなくてはいけないのだろうと思います。わたしはわたしでしかないから、今までの人生の取り換えなんてきかないから。わたしは、自分を大切にしたいと思っています。だから、すごく怖いですが、今までのことを少しずつ話していければと思います。
わたしはわたしから離れることはできないけれど、応援することはできるから。
誕生日を迎えて
わたしが産まれた日がきました。こんにちは、ありがとう。
0時ぴったりに「誕生日おめでとう」という連絡がくることが毎年の憧れで、それで実際に0時ぴったりに連絡が来たときはすごくすごく嬉しかった。ただし、わたしが眠くてちゃんと返信を返せていないことが残念だが。起きたらもう一度「ありがとう」と言おう。
産まれてきた日。みんなから「おめでとう」と言われた日。病院で産声をあげた日。今日は特別な日。
少し前、わたしは死んだほうが良いのだ、そうした方が良いのだという考えしか思い浮かず、その考えに囚われては悲しくなっていた。だがこうして今日、誕生日を迎えた。生きている。おめでとう、と言ってくれる人の存在。それがこんなにも嬉しいものなのだ、と、あらためてわたしは知った。
3000gぐらいで健康児として産まれたわたしは、結構な歳を重ねたような、いやそれでもまだまだ若輩なような、そんな気持ちでいる。そうだ、タイムマシンがあったら産まれてきたわたしに会いに行きたい。ガラス越しに、「おめでとう」と言いたい。自分だけど。ひどく落ち込んでいた時、わたしは「タイムマシンがあったら自分を消したい」と考えては泣いていた。けれど今は違って、彼女の顔を見たら、「おめでとう」と言いたい。
誰かにとってはいつもの日。わたしにとっては特別な意味を持つ一日。
まだまだ経験していないことがたくさんある。そしてまだまだ笑い足りない。わたしが望んだものは手にあふれ、こぼれおちて、すこしのものが残った。そのすこしのものが、今、わたしを生かしている。
今日はきっと、「ありがとう」を言う日でもあるのだろう。ここまで読んでくれてありがとう。またひとつ、歳を重ねました。来年もまた、こうして笑顔でこの日を迎えることができますよう。
嬉しい一日がやってきて、わたしをまたひとつ大人にし、そうして次の年にまたわたしはこの日を迎える。
その繰り返しで、生きていこう。
なんでもない日々のこと
どうもこんにちは、ききょうです。
予定があるときはみっちり詰まっているのに、入っていないときはこれでもか!!!!!というぐらい予定がなにもないききょうです。なら外出すればいいじゃないかって?甘いな。わたしにとって外出とは出陣と同義なんだ。同一視しないでくれたまえ。まあ単純にお金の余裕があまりない、ということもあるんですけどね。だから短期でアルバイトがしたいなあと思っています。
短期のアルバイト……と言って思い出すのは、初めてしたアルバイトのこと。それは派遣かなにか(すごくゆるい。面接もなにも無かった)に応募して、某携帯会社の支店でお客様対応をするというものだったんですけれど。なにも耐性がなかったわたしはひたすら椅子に座っていたため、業務終了後に「もう来なくていいよ」と、さようならを言い渡されたのであった。おひたしおひたし。
……言い訳はいろいろあるけど、でも仕方ない。いい経験になったのだろう。長い目で見たらね。
アルバイトは思えばいろいろやったなあ。接客業はやってみないとその大変さが分からないから、やってみて良かったなあと思う。世の中はいろんな人が居て、否応なくその人と関わらざるを得ない状況というものを体験してみるのはいいことだ。
お姉ちゃんがそろそろ帰ってくるので、クーラーの効いた部屋でこの文章を打っている。Twitterでは結婚式を挙げる人のブログを読んだ。こちらまで幸せな気持ちになった。同時に、「伴侶とは……?」という気持ちにもなった。
短期的に側にいて幸せになれる人と、長期的に側にいて幸せになれる人。その違いってなんだろう。ケンカしても仲直りできること。意見の相違を受け止められること。幸せなことを半分こできること。きっとたくさんの条件が人の数ほどあり、そこには常識とかそういうものは霞のようにもやもやっと雲散霧消してしまう。しあわせなんてひとそれぞれ。
ともあれ、今日、幸せな二人が結婚式を挙げたという事実にわたしはとても幸せな心地になったのです。
忘れないでいたい
どうやらわたしは普通とそうでないところの境目に居るらしく、この間手帳の申請をしたら、先生はすんなりとそれを受け取ってくれた。そのこと自体は嬉しかったけれど、手帳を持つということは、ひとつの証であると考えている。
今、色々と相談している人は、「そこまで難しく考えることはない。ききょうさんの中身がそれで変わるわけではないでしょう?」と言ってくれた。その通りだ。手帳を持っても、わたし自身は変わらない。けれど、周囲はどうだろう。家族は?友人は?知人は?これから知り合う人たちは?
偏見や差別というものは根深い。そんなものが無くなったなら、社会はどんなに天国に近いだろう。わたしはわたしだ。それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、自分の有り様を「手帳」という存在で決めつけられてしまう可能性があることは覚悟しておくべきだろう。
けして悲観をして手帳を申請したのではない。自分のために持つことを決めた。もしも誰かに傷つけられても、それを忘れないでいたい。
そんなことを思ったよ。